母性の発見 Iris Krasnow
2005-07-14 Thu 10:29
下手な翻訳ですが、一番目のプレゼント♪

※Iris Krasnowについて※

Iris Krasnowは、‘Surrendering to Marriage: Husbands, Wives and Other Imperfections’(ニューヨークタイムズのベスト・セラー)を2001年に発刊した作家です。UPIの有名な元ジャーナリスト(オノ・ヨーコ、ビリー・グラハムおよびNoor女王にインタビューした)でしたが、幼い4人の息子たちと、毎日一緒に過ごすために、ジャーナリズムの仕事をやめました。彼女が母性に素直に従って得たものが、この本の中に記録されています。
現在ジャーナリズムの助教授であるKrasnowは、ワシントンポストのスタイル・セクションで、レギュラーでコメントを書いています。また、彼女の仕事は、ライフ誌、セルフ誌、ウォール・ストリート・ジャーナルで特集されました。CNNでも2度特集され、オプラ・ウィンフリー・ショー、Good Morning America、TODAY、そしてボルティモアのFox Morning Newsでも取り上げられました。



(翻訳:ブリュンヒルデからの贈り物管理者)

私は、シモーヌ・ド・ボーヴォアールとベティー・フリーダンにより扇動されて成年した女性の世代です。彼女たちのように、腹を立ててはっきりものを言える女族長たちは、夫や子供たち、家庭から独立するのではなく、世界から齎された力とアイデンティティを私たちに教えました。私が1970年代にスタンフォード大学の学生だった時、赤いチェックのふきんを肩にかけた専業主婦である母親の姿は、キッチンで身動きとれない妻の抑圧のシンボルとして、私を怒らせたものでした。
主婦の役割の足かせから遠い人生を送る決意をして、私はUPI通信社で、人びとが好むYoko Onoや、 ビリーグラハム、テッドケネディ上院議員、そしてNoorヨルダンの女王などの有名人にインタビューするジャーナリストになりました。

それから結婚をして、連続して4人の息子が生れ、子供を育て、ジャーナリストとして勤める日々を離れ、家でフリーランス・ライターになりました。皮肉にも、母のように赤いチェックのフキンを肩にかけた時、私は抑圧とは感じませんでした。私は幸せな自由な気持ちでした。競歩でもっと高いもっと良いキャリアへ至る時期を経て数年後、私は減速してホッとして、子供と一緒にこうして台所にいるのです。この私はMommyと呼ばれることを、初めからそのつもりでいたように感じています。

1993年の11月、私は双生児を産みました。3歳未満の4人の息子の母になったわけです。その革命的出来事は、私のキャリア、私自身の構想を揺がすものでしたが、結局、本当に重要で、偉大な清澄さに導かれたのです。ここまでやってきて、家族は全く単純です。結束した家族を作るには、長い時間かかります。

よいジャーナリストであることは、極度のエネルギーで専念しなければなりませんが、よい母親であることは、それ以上ではなくても、少なくとも同じくらいの責任があります。成功するために、かつての仕事よりももっとハードに仕事をしなければならないのです。また、それは私の力を削ることを意味していました。育児の一覧表を実行することは、原稿締め切り時間とミーティングの中で行なえるようなことではないのです。

最終的に、人としての私たちの偉大な力は、自分の時間をいかに使うかにあるのです。そして私は今、家族や、最も愛する人達と共に家にいて時間を過ごすよりも多くの時間を、オフィスで見知らぬ人たちと共に過ごそうとは決しておもわないのです。私は、私の友人のようには決してなりたいとは思わないのです。なぜなら、友人の彼女は全ての時間、何年も、朝早くから夜遅くまでオフィスに拘束されていて、その間に彼女の赤ちゃんは、今は去ってしまって、既に若い女性になったからです。「時はどこへ行ってしまったの?」と彼女は悔やみました。「私は元に戻ることは出来ない」と。そうもう取り戻せないのです。今日は一度しか来ないのです。

だから私は、よちよち歩きの息子ジャックがリリアン・バーノンのカタログを見つけて、1項目毎に指をさして、興奮しながらページをめくり始めた、魔法のような午後の瞬間を味わっているのです。「これは何?マミー。これは何?マミー」彼は陶器や吹流し、ろうそく、ビルディングブロックを指さして、何度も尋ねました。私は、ジャックが母親の膝にもぐりこめる程小さい、短い期間をもっと長くできないだろうかと考えました。私は彼が純真であることに気づきました。すぐに、あまりにもすぐに、私はこの坊やを世界へと自由にさせなければなりません。彼を傷つけるかもしれない世界、彼は恐らく皮肉になり、もっと彼を悪い子にする世界へ。私は立ち上がって雑誌を落とし、ジャックの熱くまるまる太っている首の中に、私の顔を埋めました。

私は、猿のように母親にしがみつく絹のような頬を持つ小さな坊やが、無精ひげとボディピアスをした無口な青年へと変化することを止めることは出来ません。まるで4つの違った方向へいつか離れて冒険に出る生き物であるかのように、腕白坊主たちはフロアの上で輪でくくられていますが、この4人の兄弟たちを、私は止めることは出来ないのです。瞬きをする間に、私の息子たちは、ぼろぼろの黄色い毛布で包まれ、彼らへの子守唄を歌ってあげている私を必要としなくなるでしょう。だから、ここで、今すぐに、私は神に今日のこの瞬間を感謝します。

私が子犬のような坊やたちの母親になった時、人生のバランスを保つ方法に関して大志を抱いている女性たちとの長い討論がすべて成果がないことを発見しました。この仕事は、バランス感覚などない小さな子供たちには勝てないのです。繰り返しの仕事がやってきます。私がその事実に降参した時、それから、本当のバランス感覚が私の魂、心に同時にやってきたのです。

私は、母親が終始家にいるべきであると思っているわけではありません。私はずっと家にいるわけではありません。私の一番下の子供は、今幼稚園に通っています。だから暇な時間に、私はアメリカの大学でジャーナリズムについての講義をしています。私は、20年前大学を卒業して以来ずっとやってきた、この分野に関わることが好きです。しかし、毎日ストーリーを切り刻む作業ではなく、ジャーナリズムを教えることは、家族生活にしゃにむに全てを消費しようとするよりも、家族を中心に回るキャリアを意味しています。私がすべてを所有しようとする女性だった時、正確には何も所有していなかったのです。

私はライフ誌での、旧共和党全国委員会議長リー・アトウォーターへのインタビューで、とても打ちのめされました。彼が脳癌で亡くなった時、彼の体は放射線をあて続けられていました。アトウォーターはこう述べました。

私は他の人よりも沢山の富と力、名声を得ました。しかし人は全てを望み、まだ充たされていないと思うのです。私は家族との僅かの時間を、権力と交換しようとしなかったか。私は友達との夕食に、どれほどの代償を払わなかったか。無慈悲な野心に捕われたこの国の真実は、私の10セントのコインから学ぶことができるのです。この真実に一致するように、私は致命的な病気に罹ったのです。

息子たちと大方の時間を過ごす母親を選択することは、実は力、自由、自己表現、独立を信奉する、私の世代の女性たちのフェミニストの理想の収束なのです。家庭を組織しあらゆる場面で子供たちと戦う、攻撃的な母親になるとき、かつて感じたような強大な力や自由、精神の権利などは何もないのです。

私は、追跡に酔っていた超音速ジャーナリストだった時の疾走していた年月を、ぼんやりしていたと感じます。その日々は、今此処で1分1秒の間に行なっていることの全てで、私を息もつけないほどにさせる瞬間が、名状しがたいものを破壊してくれます。子供たちの驚きの中で混乱しながら、私は絶えず普通の中に、特別なものを知ろうとしています。
この自由と権利感覚は、私の人生のすべてに現われています。フェミニストのパイオニアであるシモーヌ・ド・ボーヴォアール(この人には子がいなかった)は、母親になることは女性のエロチックな発達の死を意味すると書きました。私は、全く反対の真実を見つけました。貴女方が赤ちゃんを看護したり、鼻をすり寄せたり、ゆすったりする時、そして子供たちの献身的な父親と一緒に眠ったりする時、女性のセクシュアリティは、人生におけるピークを迎えるのです。

私は、1970年代半ば、スタンフォード大学で女性を意識しました。私は、精神的な充足や人生の意味を探して、ベイエリアの運動場から発生した運動から多くを吸収しました。私の旅は、仏教、estや、トランセンデンタル・メディテーションや、自然食の食事法や重量挙げやGrateful Deadへ私を運びました。

今日、私は神から授かった自己実現を正面にして、もはや絶望していません。まとわりついて来る4人の小さな少年たちを正面にして、それは終わったのです。彼らは、神が私の中に在るという静謐な悟りを私の魂に充たしてくれました。幼い子供を持つことは、夏休みの終わりに、あなたの顔に注ぐ太陽の光、足についた砂に似ています。

私は、作家という、家で出来る職業を持っていることを幸運なことだと思っています。勿論私は他の女性より沢山の選択肢を持っていましたが、他の女性達も、ほとんどの分野で自分が思っている以上の選択肢を持っていると信じています。
アナポリス(メリーランド)にいる私の友達は、朝4時から11時までケイタリングで働くことにしました。そうすれば中流程度の夫の収入の助けにもなり、子供たちのために使える時間も持てるからです。もう一人の友達は、デパートに売り子として働き続けていますがし、今は彼女の小さな娘をモデルにして、彼女の家の居間で、子供服を販売して繁盛しています。また、共同トラック?を止めて、労働時間を週の半分にして、午後3:15に子供たちを迎えに行く弁護士たちを、沢山知っています。貴女がそれを熱望し、熱心に押し進めれば、子供たちも賛同してくれるような「仕事家族」の解決策を見つけることは可能なのです。

子供たちを元気づけるだけではない、質の高い多くの時を子供と過ごすことで、子供たちは私たちを、最も素晴らしい私たち自身にしてくれます。メリーランドにある私達の家の中で、私はしばしばキッチンに座って、夫チャックが階上のバスタブで、4人の少年を磨いてくれている間、川の上に映る琥珀色の日没見ています。また、テレビを消してday ping bananaにざっと目を通し、スイスアーミーナイフで運動靴の泥をこすり落として、尊敬の眼差しで彼らの母親を見ている4人の少年に、ポカホンタスを読んで聞かせたりします。そして、私は、これは、到達したも同然なのだと気づかせられるのです。

ある外国のジャーナリズムの仕事をさっさとすませたいと願っている、ここ数日、私は、ワシントンD.C.のアリーナステージ、国中でも最も素晴らしい地方劇団の一つの創立者である、その頃65歳だったZelda Fichandlerへの、数年前のインタビューを思い出しています。

彼女が素晴らしい成功をおさめたキャリアを語ってから、私は彼女に、非凡な人生で何か後悔はあるか尋ねました。彼女は私を見つめ、目は黒く鋭くなりました。そして答えが返ってきました。
「もし私がもう一度生きて完璧な人生を送るなら、子供達が5歳まで家にいたかったわ。あの頃、子供を置いて行くことに、全く後ろめたさは感じなかった。私は彼のものに価値があると思い続けていたから。?今は、私は若い女性にアドバイスをしているの。それが価値あるものかどうか慎重に考えてって。だって生きてない人生、読まない本、見られない芸術、取れない休暇、続かない会話、匂いのない花だもの。」とFichandlerは言葉を止めて、そして付け加えました。
「子供たちには十分なことをしてあげませんでした。彼らが私を必要としていた頃、私はいつもそこにいたと感じていたの。でも、私が彼らを必要とした時、私は必ずしも其処にいたとは思っていないの。」

他の、パワフルな女性たちも、仕事が彼女たちの家庭生活に影を投げかけたことについて、同じような後悔を口にしました。Oriana Fallaciによって行なわれた素晴らしいインタビューで、元イスラエル首相ゴルダ・メイアは、国を統治すると同時に、家族の生活をうまく営もうと思案したと述べています。そのような苦闘を、貴女方も味わっているでしょう。あなたの心はばらばらになります。慌てて、同時に2つの場所にいたいと思い、走りまわり、こうしたことが、家族の結束に否応無しに反映するのです。

私は子供たちが幼かった時、私の重要さを知り非常に苦しんだのです。私は彼らを何度も置いて行きました。私がいるべき時、そうしたい時、私は彼らと一緒にいられませんでした。
ああ、私が頭痛で仕事に行かない時にはいつも、子供達がどれほど幸せだったかを思い出します。彼らはジャンプして笑って、「ママが家にいる!ママは頭痛だ!」と言いました。

私は独り言を沢山言います。「すべてくたばれ、みんなくたばれ、私は自分の役割をやってるの。今、他の人にそれらをやらせたい。もう沢山、もう沢山、もう沢山よ」。
私は何にも関わりたくない、ただ肘掛け椅子に座り、私が楽める小さなことをやって過ごしたい。時計が私の主人ではなく、私が時計の主人であるべきなのです。

母親になることに決める場合、私たちは人間として出来る最も自然な約束をするのです。私たちの子孫を世話するという、変更不可能な約束です。私たちは、産むことを無理強いさせられてはいません。私たちは望んで母になるのです。大抵は世界にそれ以外に更に強く望むものがないから、母親になるのです。
私は、或る友人が自分を利己的すぎると認めていて、子供を持たないことに決めていることを尊敬しています。しかし、その意志を以ての判断で出産して、そのことで自己本位の度合いが少なくならない場合、私は悲しいと思います。

或る日、私は出産した広告会社の幹部を訪れました。
彼女はベッドに支えられながら、電話で話していました。一方の手で、彼女は胸に子供を抱いて、もう一方の手で、新着のファックスをぎゅっと握り締めていました。電話の内容はクライアントとの論争で、彼女は怒っていました。また、彼女は新生児を大切に抱いていた手で、空をぴしゃりと叩き始めました。赤ん坊は、彼女のベッドカバーの紙の中に落ちました。私の友達は怒鳴りたてて、黒いインクでほっぺたが汚れた娘を、そこに置きました。この母親は、翌週仕事に戻ることを計画していました。

私は互いに一歩でも先んじようとする他の新しい母親たちの声・・・どれ程速く最初にビジネス旅行をしたか、どれくらい速く妊娠で太った体から40ポンドの減量をしたか、どれくらい速く委員会の議長に戻ったかどれ程速くジョギング道路へ戻ったか・・・という話を聞きました。

以前、余りにも早くドアの外へ出た人間として、私は今、友人たちに、彼女らの古い身体や古い仕事、古い社会的身分は、待つことができるのだと伝えます。
赤ん坊は明日、第一の存在であり、この素敵な短い時間を逃すべきではないと、彼女らに伝えます。また、私がフェミニストの理想を放棄した強硬派だったことを非難された場合には、私は彼女らに、女性として出来ることで、母親を放棄することを拒絶するよりも、もっとパワフルなことは何もない、と言いたいと思います。

最近、メリーランド知事のオフィスから、知事のファースト・レディーの肖像を描くように依頼された私の友人のことを思い出します。

友人は、この申出を受けず、有名なギャラリーから受けているいつもの仕事を見せて、依頼の数々にも対応しませんでした。彼女は、大学の授業で教えて欲しいという要望も、いつものように断ります。
今のところ、彼女は大きなキャリアを望んでないのです。
彼女は7歳と5歳の子供たちと一緒にいたいのです。けれども、もっとお金があれば、園芸家である夫と共に彼女の生活は著しく楽になるのですが、1ダース程度だけ働くことに決めて、週のうち数時間、子供が学校に行っている間に、彼女は地方のクライアントのために、スタジオで肖像を描いています。この決定は、彼女の家族が「実際に貧しい」からです。しかし、彼女は誰とも彼女の人生を交換しないでしょう。

「私は座れないわ、そして言うの、ああ、そこへ行って稼いで、もっとお金を作らなければ」と彼女は言います。
でも「私は豊かだと感じているの。私はいつも子供と共にいて、彼らは良くなってるわ。彼らはベビーシッターからテレビの前で不意に叩かれたりしないし、パンを焼いたり、ハイキングをしたり、私と遊んでるの。私たちは、つまらないと思える人たちから育てられても、どこも悪くは無いのよ。」

結婚もせず子供をもたず、主婦の義務を回避するように私に命じたシモーヌ・ド・ボーヴォアールのような年を取ったヒーローに幻滅を感じて、今では私の主なインスピレーションは、オフィスよりも家にいようとする、同じ心を持つ母親たちからもらっています。
たとえば7歳と2歳の母親である元ホワイトハウスにいた仲間である、シャーリーン・クインのような女性。彼女の庭で取れた大きなイチゴを食べながら、オレンジのハイシーを飲み、私たちの子供たちが流木を投げ合うのを見ながら、私と彼女は、チェサピーク湾で春の午後を過ごしました。

照りつける太陽の中、シャーリーンは私に、ニュート・ギングリッチに、フリーランスの健康アドバイザーになる申し出を断ったばかりなのと伝えました。「私は忙しすぎるわ」と彼女は、息子の第1等級のプレー用のコスチュームを縫うのに忙しいと、くすくすと笑って説明してくれました。彼女は裁縫をするのが好きだといいましたが、仕事に夢中になりすぎていたので、何年も裁縫をやってなかったのでした。

この「忙しい」という言葉について、私は考えました。
辞書では「engaged in action(活動に従事している)」とか「occupied(従事している)」と定義されています。世界旅行をする私のジャーナリストとしての生活においては、恐らく私は自分から逃げていたから、忙しくしていたいのでした。
子供のことで忙しいこととは、完全に異なる意味を示しています。活動に従事し、いたずらっ子たちに必要とされることに従事すること。私は、加速をやめて、ここにいて、自分が自分自身でいられることに喜びを感じています。のらりくらりとした、小さな少年たちは、束の間の瞬間に、私を拘束して行ったのです。
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