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2005-10-16 Sun 19:34
今日、久しぶりに「サザエさん」を見たら、「サザエさん」生誕60周年だと言っていた。戦後すぐに始まったんだなあ。
フェミニストは戦後の父親が働き母親が家にいて子供を育てる家族像というものが破綻しているのに、保守派はいつまでもそれにしがみついているという言い方をする。 それは間違っている。私は戦後の核家族がいい、と思っているわけではなく、父親と母親の役割は、太古の昔から変らないと思っている。 もちろん時代によってライフスタイルに変化があるのは当然のことだけど。 「サザエさん」の漫画も、60年同じ家族構成だけど、時代の変化を少しずつ取り入れて、随分変化しているようだ。 歯医者さんとかの病院などや、古くから営業しているお蕎麦屋さんなんかに、昔のサザエさんの漫画が置いてあって、それを見ると随分変ったんだなあとビックリする。 でも、ライフスタイルの変化を取り入れても、「サザエさん」は決してフェミニズムを受け入れることもなく、かといって、大昔の大家族でもなく、核家族でもなく、なんだかイイ感じで、中家族を保ち、ご近所とのお付き合いを大事にして、マスオさんは入り婿ではないままに、サザエさんのお家に同居している。 そんな「サザエさん」がまだ支持されているのは、「家族」というものを日本人が大事に感じているからなのだろうなあと、私は感じる。 あんなふうに暮らすことができたらイイなあという憧れがあるのは、「家族」が失われて行っているからかもしれない。 でもフェミニストが言うように、失われていくのを追認して、それが時代の流れであり、社会の単位を「個人」にするべきだと言うのは、あまりにも短絡的で愚かな考えだと思う。 「サザエさん」をイイと感じるのは、人の心の中に、「家族」っていうのは暖かいものであるというアイデンティティがあるからだ。 現実には、家族には色々な葛藤はあるけれども、そんな葛藤を通して、人間は愛情というものを学んで行くのだ。葛藤の中にも、サザエさん一家のような、ほのぼのとした時間も流れるのが家族なのだ。 今日、波平さんが、いわし雲を見上げていた。 最近、雲なんて見上げないなあと思ったら、少し悲しくなった。 子供の頃は、いつも雲を見上げて、季節の変化を感じていたものだったなあと思い出した。 父と母と、美味しい夕餉を囲んだ夏の一日を思い出した。厭なことは思い出さず、家族の楽しかったことだけが、私の心の中には残っている。 それが私の「良い思い出」というだけではなく、何というか、人としての優しさや微笑みのルーツになっているのだ。 ** 今日、ネットで知り合いになった方々から、美味しいものを頂いた。 有り難いなあと思いながら、イッパイ食べた。(有難うございます!) 美味しいので「おすそ分け」したいなあと思っても、ご近所に持っていく勇気を私は持っていない。 なんか、縁側があってくれると、気軽に持って行けるのになあ、なんて思ったりする。 家族やご近所のお付き合いには、お家の作り方も大事なんじゃないかなあ。 |
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サザエさんは小学校時代見ていました。昔の漫画はすごく素朴ですが、おもしろかったことを記憶しています。サザエさんの歴史を調べると原作漫画は新聞連載の4コマ漫画である。第二次世界大戦後間もない昭和21年(1946年)4月22日、福岡の地方新聞『夕刊フクニチ』で連載をは
2007-01-19 Fri 11:37 テレビ観察ブログ
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